昭和56年8月13日 十三日会



 ビリグイの末永先生からかきゅうの願いとしてのお願いがあのございました。もう絶体絶命、もう合楽にお願いする他なしというのでまあお届けがあったのでしょうけれども、最後にこういうふうに書いております。
 どうぞ、ここから本物のお任せの信心が出来ますようお願い申し上げます。皆がお任せする、お任せする。もう神様任せと言うけれども、先生が言っておるのは、今まで言うてきたのじゃない。もっと本物のお任せ信心をここから頂きたいと、まあ言ってきております。今朝の御理解の中にも、もうお徳を受けるチャンスというものは、やはり、やっぱり難しい時。ね。それを信心でサラッと、いわゆる任せる心で受けていく時に、まあお徳が受けられると。
 これは、私があの、学院に行かねばならん。行くの行かんのと言っておる時の元旦に、私が頂いておる。くとも言えませんけれども、その事は神に任せてとその座にというのがございます。その事に元ずいて今日はあの朝聞いて頂いたんですけど。先ほど佐賀の支部長です空閑さんから、娘がこの頃、大変体が弱ってる。本人はもう神愛として頂いておるからお願いせんでもいいとこう言うけれども。親としてはやっぱ願わずにはおれない。そこであの、お初穂をさせてもらおうと思うて、お初穂袋とよるけれども、どれもどれもが皆健康御礼、健康御礼ばっかりしか出て来ない。そこで気付かせて頂いたのは、ね、神様ここから信心を教えて下さろうとしておるなと。あの思いましたと言うお届けが今ございました。今さっき。
 言うならば、神愛と頂くと言うことは、もう最高ですよね。そんならやっぱりお礼を言う他はないわけです。神様、健康御礼、健康御礼のお初穂の袋しかなかったとこう言う。ね。そういう時に、ね、御礼が言えれる。神愛として頂けれる。そういう心がもうお任せしきった心じゃないでしょうかね。まあ、神愛と思うておりますと。あれじゃまだほんなもんじゃない。ね。それを神愛と。神様の愛と分かったら、それこそ、そこに心からのお礼が言えられなきゃならない。ね。
 そして、もう心も神様にお任せするというのが、いよいよ、まあ本当のお任せということになるのじゃないでしょうかね。そういう信心をお互い稽古して行きたいと。神様の願いが成就する日と言われる十三日は、そういう氏子が一人でも多く出来る事。ね。ほんとに、氏子を手の様に足のようにお使いまわしができられる。それは、あなたに任せ切った、身も心も任せておりますという氏子でなかならければお使いにくかろうと思います。
 そういう氏子を目指さして頂きたいと思う。どうぞ。       (ゆきこ)